高校時代めっちゃ芋だったって話【眠れない夜にテキトーに書いたブログ】
こんばんは〜 yuka_chanpi です。
久しぶりに考え事をしてしまって眠れないのと、昼間に『 全然ブログ更新しないじゃん 』とある人に言われたので書いてみようかなと思います。
↑ここまで書いてるけど何書くか全く決まっていないので今から考えながら書きます。
多分途中で眠くなってupしないか、テキトーに書いた文章をそのままupしてしまいます、、。
覚悟して読んでください(まだ何書くか決まってない)
高校時代のこと。
偏差値50無い田舎の高校に通っていました。
塾の先生に、母校の隣にある高校(文武両道の進学後)いけるかな?!と面談とかでも何でもない塾終わりに聞いたら、お前ら双子は無理だら〜!と言われたのでショックを受けながらも進路希望先を母校に決めました。
進路希望を決めるための判断材料になる学校説明会はその区内のホールで行われて、隣の区に住んでいた私は電車で行きました。
母校は体育館の建て替え工事中だったので、当時1度も母校がどこにあるか、どんな校舎なのか知らずに進路希望先を決めてしまいました。
友達が行くってのもあったので、まぁ何とかなるら。とテキトーに選びました。特に何も考えてなかった。あ、強いて言うなら、学校説明会の時に男子達が面白そうで、仲良くなったら楽しいかも?!みたいな希望が少しありました。実は。
無事母校に合格したんですけど、登校初日に絶望しました。なんてったって、遠い!遠すぎる…
しかも絶望的に田舎。校舎のバックには山。
あーオワタ。と思ったら私、特進クラスでした。
色々とオワタ。と思ってたけど、初日から仲いい子が沢山できて、当時はメールの時代だったからメアド交換めっちゃして、最初の1週間は訳の分からんまま顔も覚えてない子達と「なんて呼んだらいい?」みたいなやり取りで忙しかったです。(メールの相手全員女w)
双子の片割れは一般クラスで、仲良い子がめっちゃ可愛くて、ちょっと男子から"あの二人可愛い"みたいに噂されてたみたいでした。
私は片割れがそんな状況とも知らず、友達めっちゃ出来たいぇーい!って思ってました。
でも、ある日の休み時間、一般クラスの男子たちが来て、、だれかを探してるのかなー?と思ったけど、女の勘って凄いんですね、もしかして、、私を見に来てる?!と思って廊下を見ないようにしていたら『双子の子ー!(本当は名前) 』と呼ばれて、さらに『 こっち見てよー! 』と言われました。
あー最悪だ……特進クラス(男はみんな芋。運動部3人くらい)というのをいい事に全く男に見られるとか意識してなかった私。
本当に地獄だったけどその時吹っ切れました。
男とは関わらん!という謎の意地が生まれてしまいました。本当にお疲れ様って感じです。
双子の片割れは野球部のめっちゃイケメンと付き合ってスペックがどんどん高くなっていって、キラキラしてる女子たちからもチヤホヤされるようになりました。
一方私は芋です。ちょっと不貞腐れてる芋です。救いようがありません。
そのまま3年間特進クラスを貫いて、高校時代の男友達は居ません!お疲れ様です!!!
でも、その分大学で取り戻してやろうとめっちゃ頑張りました。
大学でサークル入ったら双子の片割れも付いてきて、自分が片割れをイビっているところがみんなにバレて最終的には嫌な役回りだったけど、今の旦那に出会えたのでマルとします!
いま、隣で寝ている旦那が「ぷぷぷぷぷぷぷぅー!」と寝言を言いました。
あぁなんて面白いんだ。眠くなってきたしトイレに行きたいので終わりにしても宜しいでしょうか?
掴みも全くないしオチもないですすみませんでした。特に何かを伝えたい!と思って書いていないのでこんなダラダラとしたつまらん事だけを書いてしまいましたごめんねごめんねー
おわり。
ps.韓国ドラマみたいに序盤どうでもいい内容長くて後半駆け足になっちゃう文章しか書けない癖を直したい
いつまでもあると思うな親と金
親父が倒れた。心筋梗塞で、
ある日曜の朝6時、妹から電話が来た。
「お父さんいま心臓の手術してる。」
急いで支度をし、地元である隣の県の医大へ向かった。
着くまでに1時間半かかったが、まだ手術は終わっていなかった。
妹の手には同意書などの書類がいくつか
彼女によると同意書がないと手術が出来ないからと言われ、ないとどうなる?と聞くと、そういう次元じゃないから。と言われたそう
しばらくして主治医からの説明。
手術は成功。心臓の大きな血管の3本のうちの1本が詰まり、心筋梗塞を起こしていたこと、その3本全てが良くない状態であること、そして合併症のリスクが大きく、最悪は突然死も有り得ることを告げられた。
けれどすぐに父とテレビ電話で話すことが出来た。コロナの関係でICUには入れないことになっていたからだったが、家族としては話せるのは安心材料だった。
父から出たのは仕事の話ばかり。あぁ大丈夫なんだなと思いほっと胸をなでおろし、病院を後にした。
安心していたけれど、父はうっ血性心不全を起こしていたらしい。本当はICUではなく、一般病棟に移る予定が、合併症を起こしたのでICUに1泊したんだとか。
その後父は、手術した1本とは別の血管の手術を入院中にした。
最終意思決定は長女である私。この年でこんな重大なことを決めなければならなくなるとは思ってもみなかった。
病院から電話が来る度に、父に何かあったのでは無いかと本当に本当にドキドキしながら電話に出ていた。
祖父のお墓に毎日手を合わせに行ったり、お寺でお守りを買い、祈祷してもらった。私が頼ることが出来るのは仏様と先祖しか居ないのだなと痛感した。
回復が早かった父は、予定より3日早く退院した。しかし2週間後に残りの1本の手術も控えていた。
家と実家の往復は結構きつかった、
電車とバスを乗り継いで3時間。大変だった
最後の1本の手術を終えた父はいま、元気に過ごしている。
この一件があってから、思うのは「いつまでもあると思うな親と金」だ、
大切にしよう
今日も今日とてパグの抱き枕を抱いて眠るのよ
昔の携帯見てたら懐かしさが溢れてエモい感じになってしまい、明日ゴルフで朝早いというのに眠れなくなってしまって焦っています。
どうもyuca_chanpiです。
昔(10年前くらい)の携帯見つけたんです。
奇跡的に充電したら中見れました。
写真とかカップル専用アプリが残ってました。
LINEのやり取りのスクショも何故かカメラロールに残ってました。これは謎ですが今見返すことが出来たのでその時の自分グッジョブです。
当時大学1年だった私は彼氏無しで、何故かその後付き合った人とbitweenっていうカップル向けのメッセージアプリで付き合ってもないのにやり取りしてました。
内容は『彼女欲しい』→『彼氏欲しい』みたいな謎めいた…ってかどっちかが付き合おうって言ったら付き合えそうなやり取りをしてましたね。(そもそも付き合ってないのにカップル向けのメッセージアプリ使ってることがおかしいけれど)
懐かしさが込み上げてきたので当時のことを恥ずかしげもなくここに書いてしまおうと思いたった所存です。
読めた人ラッキー!
その頃は5人?くらいの人と同時にLINEしてました。1人は野球部、先輩2人、韓国語のクラスが同じだった人、その後付き合った元彼
そんな感じだったと思います(スクショを見る限り)
その当時は野球部の人ともはや付き合ってるよね?というLINEしてたなぁ楽しかった。でもその人のテンションが高すぎて色んな人への返信のテンションが自分ではありえないくらい高くなっててきもかったです。
面白いけど固定の5人くらいとずーっとLINEしてて、同時進行で5人と付き合ってるみたいな感覚だったなあ
だれとも付き合ってないから色んな人と映画とかご飯とかいっててフリーを謳歌してたなあと思います。恐ろしいことに体の関係は誰ともなかったんですよね。あら健全。
付き合っても何もしなさそうって言われたりもしてましたね。つまらなかったのでしょうね、
でもある時元カレとユニバに行くことになって何となく付き合ってしまいました
付き合った時同じ大学内の人と、さも付き合っていたかのようなやり取りをしていたことを激しく後悔しました。体の関係は無かったものの、気まずい…となり、付き合ったことは誰にも言わんでくれと最低なことを言いました
その後すごくすごく好きになったのですが、つまらない。と言われて振られました。
私の家庭環境はものすごく荒れていたのに、そいつには自分の環境を自慢したいんだろと言われ、あぁこの人は私の事なんて何も分かってはくれていなかったんだと感じましたね…3日くらい寝ずに泣いたけれど。初の失恋でした。
携帯見返して思ったのは、元カレと付き合っていなかったらどうなっていたかなってことです。
野球部と付き合っていたら絶対に今の旦那とは結婚出来ていないだろうなあとか思います。
→つづく
最近ダイエットを始めました〜私の存在価値ってなんだろう〜
こんにちは yuca_chanpi です
こんにちは yuca_chanpiです と挨拶をして始めるのはいつぶりでしょうか。
というよりブログを更新するのはいつぶりでしたっけ。
まぁ書いていきます。
ブログに何を書けばいいの?というもののヒントに『自分の考えを書く』というものがあったので書きますね。いつも書いているけれども。
私の存在価値について書こうと思います
これは思いついたままに書き込んでいるので乱文になるでしょう。
私は愛されて育った訳ではない
そう思っています。
根拠は親に親権をタライ回しにされたこと。ですかね
私は結婚していて旦那がいるのだけれど、その両親はとても愛情深くて優しくて大きい人です。
リビングでいつも家族みんなで笑いあってたまには喧嘩する。そんな家族です。あぁ眩しい。
普通じゃんと思った方。とても幸せな暮らしをされてきているのですね。羨ましいです。
私は自分のお母さんとテレビを見て笑いあった記憶はありません。お父さんとなんて、嘘を言いすぎて、喋ろうと思っても一旦考えてから話し始めることが多くて笑いあうどころか気を遣うことが多かったです。
前にも書いたことがあるけれどたったこれっぽっちの感情が私を悲劇のヒロインに仕立てあげました。
引っ越して来て片付けていた時、小学生の頃に書いたメモが出てきました。そこには『はははーはぁ、笑うのもつかれる。』と書いてありました。汚い字で。
書いたことなんて忘れていたけれど、20年近く経った今みて当時の自分が可哀想で泣けました。
弟が生まれた頃からでしょうか、『あんた達なんていらない。弟がいればいいんだから。』と母から怒鳴られる日が多くなりました。まぁ言うことを聞かない私が悪かったのだけれど。
その頃の私の存在価値ってなんだったのでしょうかね。
この文を妹が読んだら『お母さんのことを悪く言うな』と怒りそうです。私もこんな悪く書いてしまって罪悪感でいっぱいです。でも事実なんですよね。だけどお母さんのことは尊敬しているし大好きなんです。変な感情っ。
お母さんは動物が大好きで動物からも好かれる人です。働き者だったけれど働きすぎて身体を壊しました。私たちを育てるためにとても頑張ってくれました。だから小さい時の諸々は許しています。(お母さんの株を上げるようなことを書いておきます)
私の存在価値 の話に戻ります
今の話ですが先に書いたように結婚しているのですが、まだ働いてはいません。
専業主婦って奴です。
仕事していないし地元を離れているので関わるのは一緒に住んでいる旦那が90%近くを占めます。
最近その旦那がずっとイヤホンでYouTube見てます。家の中でのことです。
私がテレビを見て『ねーこれさー○○だね』と話しかけても、イヤホンを片方外しながら『なに?なんて言った?』と聞いてきます。
それを見たら話す気力なんて無くなって『独り言だよ』と言ってしまいます。
多分飼っているうさぎのことorテレビで見た情報しか話題がない私との会話はつまらないのでしょうね。
漠然とは思っていましたが今朝妹に電話でこれを喋ったらなんだか病んでしまいました。また家族を悪者にしています。私はなんて悪いやつなんでしょう。
そしてまた悲劇のヒロインを演じています。
私の存在価値はなんだろうか?
こんな疑問が浮かんできてしまう。
旦那を癒しているわけでもなく、ただ家事をしているだけ。
しまいには『お金がないのならば助けるからね』と義父に言われてしまいました。あぁ情けない。
愛するよりも愛されて結婚した。つもりだったけれどちょっと違ったみたいです←何だこの文撤回します。
乱文すぎてここまで読まれた方にはとても申し訳ないのですが、私の存在価値は先にちょっぴり触れた"うさぎ"の面倒を見る。これですかね。
おあとがよろしいようで
ではまた(最後の方で駆け足な文で終わる癖なおしたい)
おわり。
ps.病みすぎてすみません。たぶん昼飯抜いたからです
人間の気持ちは日々変化するのだ
変化のない人間なんてつまらない
ずっと、初恋の人を忘れられないって思ってる人多いと思う。
でもその初恋の人、あなたと居た時と今ではすごく変わってると思うよ。
月日が経過すればするほど、思い出は色褪せて、いい部分ばかりがよく思えるけどね。
でも、あの日のあの人はもう居ない、変化しているって思うと、なんだか前に進めそうではないですか。
あの時こうしておけば良かったって事も多いけど、それはもう結果論で、大人になった今はそりゃあ歳重ねてるからさ、あの日あの時出来なかったことも今思えばできていた気がするんだろうなぁ。
わたしは今の旦那に出会って相当性格変わったと思っているから、中学とかの同級生とはなんだか馬が合わない気がするんだ。
昔は前に出るのが大嫌いで目立ちたくなくて、誰かを好きになるとか、噂されるとか、とにかく人の目に付くことが大嫌いだった。
このブログだって、自分の考えを書くなんて昔だったらありえないし、旦那と出会ってなければこんな拙い文章をブログって形で書くことは無かったなぁと。
だから私はすごく考え方が変化しているなぁって。あの時の自分とは違うって。
あの人が好きになった私はもう居ない。
ずっと変わらない人も素敵だと思うけど、人は変わるものだなぁと私は思っている。
でも中核?芯の部分だけはブレてはいけないって思うけどね(矛盾してる?)
いつも夢に出てくるあの人。
もう出てこなくていいからね~
すごくいい思い出だけど後悔が大きすぎて未練?みたいになってる。。。
そして夢に出てくる。
それで、あぁあの時、あぁしておけば良かったのにって悲しくなっちゃうんだよなー
それは今が幸せすぎて、無い物ねだりしてるんだろうなってしみじみ思う。
今の生活に不満もない、今死んだとしてもいい人生だったなって思える。自信はある。
昔は大きな一軒家に住みたいとか、ブランド物のカバンが欲しいとか、いい生活がしたいって思ってたけど、アパート暮らしでお金ないから焼肉我慢して家でそうめん食べようって言ってる今が一番いい時なのかもしれない。
それはこの先の希望とか目標がハッキリしてきたからかな。
状況によって考え方は変わりますよね。
子供ができてゆとりがなくなったら、きっと今日みたいな何気ない日に戻りたいって思うんだろうな。(今は子供ができたらどんなに幸せだろうって思っているけど)
10年後どんな自分になっているかな
ずっと変わらない考え方の人は変化のない安定した生活を送っているのか、それとも、とても素晴らしい精神力を持って自分を律しているのかな、とも思う。(人は変化するっていうブログの内容に矛盾している気がする。矛盾多!)
何が言いたいのかわからなくなってきたけれど、私はまだ20代後半の甘々な人間で、今日言ったことも明日には変わっているかもしれないけれど、その変化を成長だと思って楽しみたいってこと。
(今日の文章は音楽を爆音で聴きながら書いたのでいつもとテイストが違います)
(sumikaの春夏秋冬を聴くと母の事を想って泣けてしまいます)
sns
マウントという言葉はいつからできたのだろう
この前までインスタグラムで、いわゆる映え写真(他撮りの自撮り)を載せるある一定数の人たちを見ては、「もういいから、、」と勝手に負けた気分(?)になっていた。
羨ましいという気持ちもどこかにあったのかもしれない
でも本当に最近、地元の連れの友だち(m)からインスタグラムのフォローリクエストが来たので許可したところ、ストーリーズが荒れに荒れまくっていた。ので、私はいつからか不幸アピールをするこの人に対して「もう親しい友人に入れないでくれよ…」という気持ちになり、マウントを取っているという人たちの投稿はもはや私たちに幸せを分けてくれているんだ…!と思えるほどになった。
そこまで私に思わせたストーリーズの内容は、子どもを二人連れて再婚した相手がゴミだった。とか、スナックでバイトしているけど気になるお客さんができた、連絡返ってこない。とか
それを見てなんて哀れなのだろうかと(m)のことを可哀想な人認定してしまった。
(m)について
小学生の時に親離婚。すぐに親は再婚し種違いの妹ができる。
中学の時に父親が不倫し蒸発。中3の時に私を含む周囲に「親が離婚してたら子どもも離婚する。」「片親の子どもはろくな人生歩まないよね~」などつらつらと不幸になる前提で話してきたので当時の私からそう思ったら人生終わりだらと心の底から軽蔑される。母親は働かず、高校生になった(m)にアルバイト代を無心する。大学進学しようとするも母親が戸籍をきちんとしていなかった(?)ので奨学金を借りれず、1年浪人して大学進学を目指すも、当時の彼との間に子どもを授かり結婚する。----ここから離婚してシングルマザーになる。など色々あるがありすぎるので省略--------
(m)については地元の友だちがよく話題に出すので、その時々の近況は知っていた。「あいつは頑張ってるよ」と友だちは言っていたが、なんとも同情できなかった。
それは中3の時に半ば人生諦めたって言う言葉、周りの片親たちを巻き込んだ発言があったからだと思う。
私の親も片親だから、そんな言い方されたら私の人生ももう終わってるってこと?と不満だった。第一、私は人生諦めていなかった。とは言い切れないけれど、周りに同情されたいとか、可哀想を演じたことはない(ブログは除く)だし、現に片親でも私は自分が今幸せだと思っている。可哀想な人生なんて送っていない。
なんていうか、自業自得なのではないかと思う。こんなことを思うってなんて私は冷たいのだろうか。でも、頑張っていたかもしれないけれど、子どもがいるのに彼氏と同棲したいっていろんなところを転々としたり、スナックでできた気になる男と飲みに出歩いたり、子どもをおろしたり、言っていることとやっていることが違いすぎたり、、とにかく片親の子どもとして一緒にはされたくない。
何が言いたいか、それは、「インスタグラムのフォローやめてもいいですか?不幸が移りそうです。」←めちゃくちゃ酷い人
おわり
私のお墓の前で泣かないでくださいそこに私はいません
「行くぞ」父の声がした
それは夜、病棟のトイレで。
私は入院していて、自覚はなかったけれど重い病気になっていた。
その声がしたのはなぜなのか
分かったのは退院後だった。
その日、いつものように眠りについた
ふと、目が覚めた
上半身がふわっと上がり「ああ身体が離れていく」
と思うと、祖父にグッと背中を押さえつけられた。
そのまま朝を迎え
病状がよくなりとんとん拍子に退院まで至った。
あの出来事は何だったのだろう
祖父は私が生まれる前に他界しているし
その夜に聞こえたのは父の声だったのに
しかもうちは離婚していて
父と母が会うことがないように父は面会はおろか
電話も禁止されていた
なぜ父の声なのか、会ったこともない祖父がなぜ?
疑問少し抱え、退院してから何日も経ったころ
「久しぶりにお父さんに会おうか」
と妹が言ってきた
「そういえばさ、お父さんの声がした夜におじいちゃんに背中をグッと押されて、それからよくなったんだよね~」とおかしいよねって妹に言うと
「そうだよじーじが助けたんだよ」と妹。
「どーゆーこと?」
話を聞くと
私の病状を聞いた父が何もできずしたこと
それは祖父が眠るお墓へのお墓参りだったらしい
毎日仕事の前にお墓に寄り、私の病状回復をお願いしていたとか
それを聞いたとき、そんなことって本当にあるの?
信じられないまま父に会うと
「お墓に行こう」と父。
父も妹と同じように
「じーじが助けてくれたんだよ」と言った。
ごめんおじいちゃん
怖いって思っちゃったよ
だって私は物心ついた時からお父さんに嘘ばかりついて
お墓参りだってろくにしたことがない
こんな親不孝でダメな孫なのに
おじいちゃんはみていてくれたのかな
寂しいときも側にいてくれたのかな
祖父に厚かましいお願いがある
それは
どうか父が私たち姉妹の嘘に気付きませんように
あと、こんな孫でごめんなさい
祖母と父がいつまでも幸せでありますように
また行きます