悲しみのものさし

 

 

朝起きたら知らない場所にいた

 

父と住んでいた家から母と妹と三人で

半ば夜逃げのように出てきたのは昨日のことだった

 

ここから私の物語がはじまる

 

裁判が始まった

何時間も母を待った

 

車の前で母から「お父さんとお母さん

どっちがいい?」と聞かれる

 

私は「お母さん」と言った。

 

 

次の朝起きたら実家に戻っていた

 

母がいない日々が始まった

父も仕事が忙しく

祖母とほとんどの時間を過ごしていた

 

母は病気になっちゃって入院しているんだ

と思っていた

はっきり言ってその日々のことは

あまり覚えていない

 

気付いたら従兄弟の家で暮らしていた

母はもちろん父もいない

 

疑問に思ったことはなかった

妹と二人で毎日父と母を待った

 

ある日叔母から

「お母さんがもうすぐ来るって」

と言われた

突然だった

 

久しぶりに会った母は嬉しそうに笑っていた

私も嬉しかった

新しい車に乗って、新しい家に向かった

母のいる日々が始まった

 

私の中でお父さんは外国に行ってしまったんだ

と思っていた

 

子どもだから考えがふわふわしていた

 

新しい生活が始まってすぐ、私と妹は

小学校に入学した

 

参観会に父が来た

嬉しかった

ずっと一緒にいたかった

私は父も大好きだった

急に父が学校からいなくなった

必死に探した

学校の中を何往復もして探したけれど

父は見つからなかった

 

また仕事が忙しくなっちゃったのか

と思ったけれど寂しかった

 

母と妹との三人の生活

大人になって知るのだけれど

父と母は調停離婚していて

いったん父が親権を持ったけれど

父は母に親権を譲り、

私たち双子と父は会うことを禁止されていたんだとか

 

七夕にはいつも短冊に書くと母が悲しむからって

空を見ながら「お父さんとお母さんが

また仲良くなれますように」ってお願いしてた

 

でも、お願いをやめる時が来る

 

とある理由で私たち双子は施設に入った

また、父も母もいない生活が始まった

毎食、ご飯を食べると涙が止まらなかった

ずっと泣きながらご飯を食べていた

「お風呂に入るときだったら

泣いていてもばれないから

ご飯の後のお風呂まで我慢しよう」

私たちは約束した

 

でも、ご飯を一口食べると

涙が止まらなかった

止められなかった

 

母は迎えに来てくれないんじゃないか

私たちなんていらないんじゃないか

 

泣きすぎて目がパンパンだったのを覚えている

 

施設に入るのは1週間の約束だった

1週間後、母は迎えに来てくれた

 

この時から私は悲劇のヒロインぶることを覚えた

 

悲しみを何度も味わって

 

私は不幸だと幼いころから思っていた

誰と不幸比べしたって

負ける気がしなかった

 

普通にお父さんとお母さんがいて

一軒家に住んで

 

そんや奴らが羨ましくて仕方がなかった

 

普通が羨ましかった

 

父と会うことができるようになっても

内緒にしておかないことが増えて

しんどかった

 

どっちにしても辛かった

 

悲しい辛いと嘆く人を見ても

なんだか親身なれなかった

 

話を聞いていくと

なんだ幸せじゃん

私より全然幸せじゃん

やっぱり私は不幸だな

と思って生きていた

 

小学生のころは悲しいことが多すぎて

自分より不幸な人を探して探して

まだ自分は不幸じゃない

我慢しないといけない

そう思っていた

 

でもテレビで

「悲しみのものさしは人それぞれで、その人のものさしで辛い、悲しいと感じたなら辛いし悲しい。」

「辛さ、悲しさは他人と比較して感じるものじゃない」

「その人のものさしで感じるもの」

とある人が言っていたのを見て

悲しみを受け入れるようになった

 

悲劇のヒロインぶることも多くなってしまった。

 

 

でも

人にはそれぞれ違ったものさしがあって

悲しみのものさしは違って

私には幸せだろうと見えることが

その人には悲しみの種なのかもしれない

自分のものさしを押し付けてはいけない

 

20年ちょっと生きてきて

最近それに気づくことができた

 

だから私の物語を私は不幸だ

と思っているけれど

ほかの人からすれば

そうでもないけど

と思われるかもしれない

 

みんなちがってみんないい

↑この言葉すごくいいな

 

余談だけれど

父が母に親権を譲った理由

それはとあるとき

私が父に「お母さんに会いたい」

といったからだそうだ

父は「やっぱり」と思ったそうだ

父は自信を無くし

叔母に私たちを預けた

 

それから父は娘に会えなくなった

夏川りみ涙そうそうを何度も聞いて

涙を流したらしい

 

会いたくて会いたくて

君への想い涙そうそう

 

これが私の物語(一部)

 

~完~

お笑い芸人を目指してNSCに本気で入ろうとしていた彼との馴れ初めが普通だった

こんにちは。yuca_chanpiです。

 

彼がいます。

 

出会いは大学1年の時、グラウンドの前で

二人組で話しかけてきました。

 

もちろん私の隣には双子の妹。

当時双子の妹とは身長体重同じで

小中高大と同じでアルバイト先まで同じ

というマナカナのような感じでした。

 

自分で言うのもなんですが

大学内では目立つほうにいたと思います。

 

そんな私たちに

双子の女がいるらしい

面白いから声かけようぜ

と当時の相方と共に面白半分で

サークルの勧誘をしてきたのが彼ってわけです。

 

その時の印象は必死だなあ

といったものです。

同い年の彼なのですがいい言い方をすると年上に見えました。

当時の相方は印象が良く、ふつうにカッコいいじゃん

といったところでした。

 

同じサークルに入り、1年がたつ頃

彼らの単独ライブが決まりました。お笑いの。

 

飲み会で当時彼氏がいた私の横に彼が来て言いました。

「お前のために漫才するから、絶対見に来てくれよな!」と。

当時彼がいたので「はあ?」となったのですが

押しに負けて行くことにしました。

 

単独ライブ前日、私は当時の彼に振られました。

そのタイミングで彼はTwitterで、

「明日は単独ライブです。なーんか振られちゃったりした人はふらっと遊びに来るといいよー☻」

と呟いていました。

 

すごいタイミング・・と思い

「絶対に笑わせてね!」

とリプをすると

「面白くないかもしれないけど、無理してでも笑ってね☻」

と返事が。

 

その当時は彼、私のことは好きじゃなかったんだとか。

人数を稼ぎたくて言ったんだとか。

でも私は心が軽くなった気がしました。

 

ライブ当日、普通に笑えなかったらどうしよう

苦笑いって一番傷つくよな

と心配していたのが馬鹿みたいに

めちゃくちゃ笑えました。

 

まだ話は続きます

それから1か月経ったサークル旅行のあと、彼から電話が来ます

「付き合ってほしい」といわれます。

しかし私は元カレが忘れられないからと振ります。

 

そのあと1年が経ちました。

路上ライブやったりM-1の予選に出たり彼は本気でお笑いを続けていました。

 

大阪に行くのー?と聞くと

いや、東京のNSCだよ。と彼は言ってきました。

 

NSCって何?レベルの私。

 

そんな私に彼はお金を渡してきます。

変な意味じゃありません。

NSCに行くために100万貯めたいけど、無理だ。

お前が金の管理してくれ。

バイト代全部渡すから1年で100万貯めれるようにして。」

と言われます。

 

当時私は母に「バンドやろうぜー!っていう男に

女は惚れちゃったりするんだよねー」と言われていたので、

「漫才で売れてやる!」という彼には惚れんでおこう・・・

と心に誓っていたのです。

 

が彼の猛アタック(?)の末惚れてしまうのでありましたー。

きっと母の「バンドやろうぜ!」の言葉がなければ惚れていなかったと思います。

 

これがお笑い芸人を目指してNSCに本気で入ろうとしていた彼との馴れ初めです。

面白くなくてすみません。

 

そんな彼は私が病気をしたのをきっかけに

夢を諦めます。(お前のせいじゃないわと怒られそうだけど)

 

いまはサラリーマンやってます。

 

この前家に結婚の挨拶に来ました。

私、結婚します。

 

人生って何があるかわからないな

~完~

双子だけど全然似てなくてそのデブの方

初めまして。yuca_chanpiです。

 

去年の今頃、ブログを始める!と周りのみんなに言い放ってから

一年たった今日、はてなブログ始めます。

 

よろしくお願いします。

 

簡単な紹介を、、、

 

双子で、一卵性双生児です。

性別は女で、もう少しで25歳になります。

 小学生時代、宿題をやっていったことがなく

当然のことながら夏休みの補習に呼ばれていたのに、

高校から頑張ったらなんかFランではない大学卒業できて

 人生ってなんか楽かもって思っていたらいつの間にか

フリーターになっていた

双子だけど全然似てなくてそのデブの方のブログです。

 

これからはふと思ったことを

綴っていきたいと思います。

 

私の出生について書きます。

 

私の母は過疎地域で生まれ育ちました。

母の父(私の祖父)は酒飲みで「ねえ、かよちゃんのお父さんまた崖の下で寝てたよ」

といつも同級生に笑われて、母の母(私の祖母)はブスで有名で「お前のおっかさブース!」と言われ、母はいつも恥ずかしい思いをしていたそうです。

そんないじめられっ子の母はいつも「双子がほしい」「双子がほしい」とお祈り(?)をしていました。

母が20代後半の時、祖父母に「結婚しないなら、従兄弟の○○と結婚させるぞ」と言われ、私は犬じゃねえ!と言いお見合いを受け入れ、私の父と出会うのですが、その後が地獄でした。(私と妹が双子で生まれる以外は)

 

私の父は川沿いの田舎で育ちました。

父は病気がちな父の母(私の祖母)と私が生まれる前に亡くなった父の父(私の祖父)の間でのびのびと育ちました。20代のころ大恋愛をするのですが、

あっけなく振られて婚期を逃し、

40代になってしまった父はお見合いで母に出会います。

 

ここからは母の愚痴をもとに書きます。

母は父と出会った時、父に「僕は30代半ばだ」と言われていたそうです。

結婚が決まり、婚姻届けに出生日を書き始めた父。その欄を見た母は仰天

40過ぎてんじゃん?!詐欺じゃねえ?!となります。

(母は本当にこんなニュアンスで私に言ってきました。

父はちょっと若く見える為母は見抜けなかった)

ですがめでたく結婚。その後ハネムーンベイビーを妊娠。

検診で「双子さんです」「宝くじが当たるくらいすごいこと」と言われ、

本当に願い事って叶うんだ・・・と喜び帰宅した母は祖母に「双子だった」

と告げました。すると祖母は「なんだって・・・」と、続けて

「身内に双子なんていない」「昔は双子が生まれると片方を里子に出したのよ」

と言い放ち、その後3日間寝込まれたそうです。ひどすぎない?

 

まあその後めでたく吸引分娩にて誕生した双子が私と妹ってわけです。

 

その後4年くらいで父と母は離婚するのですが

その父と母のせいで

私たち双子は本当に波乱万丈な人生を送ることになるのです。

 

 なんだかブログっぽくなくなってしまいましたが

続きはまた書きます。

 

 

ブログをってなんだ???

 

~続~