私の母の人生について知る限りで書いていこうと思いまっす(前記事と重なるところ有)(超長文)

こんばんは yuca_chanpiです

 

私の母の人生について語る

 

のちに父の人生、そして私の人生についても別記事で語る

 

 

母の父→タケシ

母の母→ミヤコ

母の名は伏せておく

 

 

ミヤコは子どもができにくい体で、結婚してから何年か

子宝に恵まれなかった

 

病院で検査をすると、子宮に異常があるということが発覚し、

子どもは諦めるように言われたが、諦めることができず、

遠い遠い大きな病院に行って手術をした

 

不妊治療をするも授かることができず

諦めかけたときに自然妊娠で母を授かった

 

病院は隣接する県(母の実家は県境にある)に決める

不妊治療、手術の件は言うことなくお産の時を迎えた

 

医者が「・・・何かがおかしい」

と感じる

 

医者が困惑していることを感じた親族が

手術をしたと申し出る

 

珍しいお産だからと沢山の医者たちが

ミヤコのお産を見守った

 

母、誕生(1966/12/08)

 

とてもかわいい赤ちゃんだった

病院中の看護婦さんが抱きに来たんだよ

(田舎の病院で小さいからだとご承知あれ)

とミヤコは自慢げに語る

 

 

ぶっちゃけミヤコはブサイクだ

そんなミヤコは

かわいい母(当時赤ちゃん)をおぶっていると

誘拐でもしたんじゃないかと思われているのではないかとヒヤヒヤしていた

とも語る

 

因みに母の名付け親は病院の院長先生だそうだ

本当にかわいくて愛されていたのが分かる

 

母にはその後、弟と妹ができ、三人兄弟になった

 

弟が生まれたときの記憶はないそうだが

5個下の妹が生まれたとき、

自分の赤ちゃんの頃のような子がいると思って

病院にみに行ったら

「ブッサイク~www」とちょっとショックだった

と母は言う

 

さいころ母は

デブな弟を溺愛するミヤコと

末っ子の妹を溺愛するタケシをみて

 

*1

と確信していた

 

私が今、母の幼少期の写真を見ても

こりゃかわいいわ...となるベッピンさんだった

 

母の恥ずかしかったこと

ある日「幼稚園に行きたくないなあ」

といったら

ミヤコにマジのおしりペンペンやられて

(当時虐待という言葉があったら訴えてたと母は笑う)

田舎だから玄関のドアが開いていて

いわゆるガキ大将の男の子にそれを目撃され

幼稚園に行くと

「あいつズル休みしようとしてけつ叩かれてたゾ」

と言いふらされていて

不登校になりかけたとかなんとか

 

 

母の学生時代のエピソード

・チャリを乗っていいのは学校のグラウンドだけという謎の決まり

・雪が積もった坂を下るのが危険だから靴にワラを巻いて行けとタケシに言われ、靴にワラを巻いてふもとまで下っていたが、友だちにそんな田舎っぺをバカにされたくないといつもバス停の椅子の下にワラを隠してから登校していた

・坂道を毎日登って下校していたが、ある日タケシの友だちのおじさんの車がきて「乗ってく?」と言われたがなんとなく嫌な感じがしたから「大丈夫です」と言って家に帰ったらそのおじさんの車が崖から落ちたらしいと騒ぎになっていて、「私は何かを持っているに違いない」と勘違いする

・高校生の時隣の高校の男子が来て「付き合ってくれ」と言ってきたが、「付き合うって何?」と言って追い返した

・進路を決める時に「大学か短大に行きたい」とタケシに告げるも、「ふざけるんじゃねえ」「お前はちくわ屋に就職しろ」と言われた(タケシは大の練り物好き)

 

そんなこんなで小中高と田舎でなんとなーく育った母

 

田舎っぺが嫌で市街地のケーキ屋に就職する

これが運の尽きだった

 

ケーキ屋は寮だった

女だらけだった

ふたり一部屋で一緒になった女がまあ変な奴だった

 

ケーキ屋からデパートの販売員に転職する

ひとり暮らしを始める

デパートに勤務る女性陣と仲良くなる

しかしグループがあり間に挟まれる

母のアパートは溜まり場と化した

 

aグループが来るとbグループを断らなければいけない

被って押しかけてきたらなぜ断らんのかと

両グループから攻め立てられる

無限ループ

 

母狂う

 

転職して母の従兄の友人の会社で働き始める

注:当時母26~27歳

 

ミヤコとタケシに結婚はまだかと言われ

「結婚なんかしないよ」と告げると

激高したミヤコに

「従兄弟の○○君と結婚しなさい」

と言われ

「私は犬じゃねええ!」となり、

会社の人に紹介してもらった私の父とお見合いをして

とんとん拍子に27歳ギリギリで結婚に至る

 

私の父は母に初めて会った時

年齢を35と言っていた

 

婚姻届けには

昭和27年生と書いてあった

 

母→昭和41年生

「・・・計算が合わない」

「詐欺じゃねえー?!」

 

騙された...となりながら

受け入れた

 

結婚式はHAWAIIでやった

新婚旅行も兼ねていた

 

帰りの飛行機でひどい乗り物酔いになり

1週間以上吐き気が止まらず

これは乗り物酔いでも時差ボケでもなく

HAWAIIで食べたエビのせいだと確信した

 

予想は外れ

つわりであるとわかったときは仰天した

 

何か月か健診の時「双子ですよ」

「宝くじに当たるよりすごいこと」

と医者に告げられ

舞い上がった母は身長が5センチ伸びた

 

注:母は幼少期いじめられているとき

自分が双子だったらこんな寂しい思いはしないのに

自分の子どもは双子でありますように

とお願いをいつもしていた

 

身長が5センチ伸びた母は帰宅して

まず姑に伝えた

母:「双子だった」

姑:「なんだって・・・」

母:「え?」

姑:「身内に双子なんていないわよ」

母:「・・・・・」

 

姑その後3日間部屋から出てこず

1週間口をきいてくれなかった

 

切迫早産になりかけて「入院するか、家に帰っても絶対安静か」

と言われて「家で安静にする」と言い自宅に帰る

(娘が言うのもなんだがよくあんな環境の家に帰る選択をしたなと思う)

 

家で安静ねーと思いゴロゴロしている所に旦那帰宅

旦那:「今日は何してただ」←超亭主関白オヤジ

なんてやつだ

と思いながら生きていたら気付くと妊娠8か月になっていた

 

ミヤコと一緒に歩いていると

他人:「あの人のお腹すごい」

ミヤコ:「双子なのよ―――」

繰り返すこと100万回

 

妊娠9か月にさしかかる頃こたつに入っていると

漏らした

 

母:「お腹が重すぎて漏らしちゃったよ」

旦那と姑に報告

 

しかし実はそれは破水だった

 

病院につくも母限界

切迫早産なりかけ&双子で小さい

この2つのおかげで

赤子を吸引してもらい

吸引分娩にて双子をこの世に生みだす

(そのうちの一人が私ですん)(ありがとう)

 

赤ちゃん生まれましたよーと言われ

見ると小さすぎて恐怖だった

看護婦:「救急車で大きい病院に運ぶから手を握ってあげて」

母:「こわーーーい涙」←ひどい

 

そんなこんなで育児始まる

間違えてミルク2倍の濃さで二人に与える

寝ていると必ず片方見失う

もう何が何だかわからない

 

気付くと娘二人は2歳になっていた

やっと余裕が出てきた

と思ったら旦那ハンパねえ亭主関白

色々あり耐えられない

1年くらい耐える

やっぱり無理(色々ありすぎた)

3~4歳になった娘二人連れて

逃亡

 

 

離婚調停後

離婚成立

親権元旦那に取られる

 

耐える

 

元旦那が育児に降参

親権奪い取る

 

シングルマザーとして奮闘

 

子どもを育てるため

働いた

働いて働いて働いた

残業ばかりで夜遅くまで子どもを待たせることもあった

大変だった

必死だった

 

いつの間にか子どもは20歳を超えていた

頑張った

 

子ども二人とも大学を卒業した

就職した

 

50を過ぎたころ、長女が結婚するから

と言ってきた

 

来年結婚式だ

緊張する

 

相変わらず仕事忙しい

 

なんとなーく生きている

 

 

そんな人生

 

ひ孫抱く日まで

 

 

これが私の母の人生(知る限り)

 

ちなみに許可は得ていません

ここまで読んだ方は素晴らしいですね

あとちょっとで3000文字←ここで3000字

 

 

 

お母さん生んでくれて育ててくれてありがとう

娘より

 

 

~~続~~

*1:絶対に私はもらわれてきたか拾われた子だ