ある番組を見て

 

 

育ってきた環境は子どもに心理的のみならず脳にも大きな影響をもたらすということは専門家でなくても周知されてきている

 

たとえば、DVを経験または目撃する環境に置かれた子どもは認知機能、学習機能、暗記力低下といった脳の機能の低下が著しいというデータがある。

 

この前、母親がDVを受け、自らも母とともにDVをする父親から命からがら逃げ、大人になった人のドキュメンタリーを見た。その中の彼は自分と同じような、またはそれ以上の苦痛を味わっている家族を救いたいと弁護士を目指すのである。

「いつも裁判のための準備をする母を見て、法律に業することによっ同じような人を救いたいと思った」「法律というものが盾になるならばその法律を学んで、尚且つ当事者の立場に寄り添うことができる自分は必要とされると思う」

彼の熱意はすごかった。

 

ドキュメンタリーの中で、とある虐待死事件の話題をジャーナリストが出した。

すると彼は「その子はどれだけ苦しかったか」「自分は目撃しただけだったし、母が一緒に逃げ出してくれたからこうしていられるけど、その父親は絶対に許してはいけない」

それまでの淡々とした話し方とはうって変わって、感情的になり涙を浮かべながら語った。

 

自分の主観を言うと、最初はそんなに感情移入してしまって大丈夫なのだろうか。と思った。

自分は彼に過去の自分を重ねていた。

 

自分も幼いころは何度も裁判所を訪れたし、施設に入っていたことがある。

いつになってもうちの家族は行政に助けられているし、理不尽な思いや惨めな思いをしたことは多々あった。

大学に入るのも、お役所の人に反対されたり、面談があったり、入ってもいつ辞めるのか、早く働くべきではないのかと言われた。

役所の人に母は父のことをDV夫だったといって連絡先を教えないように申し出ていた。実際はDVはしていなかったけれど、私にも理解できない母の事情によって私の家庭内は絶望的に複雑だった。息も詰まるような毎日で、恐ろしい程私の自己肯定感は低かった。それに追い打ちをかけるように役所の人は他人事で、冷酷だった。(ように感じた)

 

そのころから私の夢は行政に携わって同じような思いをしている子どもに寄り添いたいというものになった。だって子どもにはなんの罪もないのだから。

 

私は非行に走ることはなかったが、その代わりに病気になった。

 

役所に私もどっぷり頼ることになってしまった。その役所の職員は手続きに行く私に手のひらを返したようにみな「頑張ってね」と言ってきた。

悔しかった。

悔しくて誰にも言えない。でも言いたい。

気付いたら母に「なんで世の中はこんな風に回っているのか。」ときいていた。

そうしたら母は「期待なんてしちゃいけないよ、金持ちで家柄がいい人が政治家になって、その人たちが世の中を動かしているんだから。役所だって、コネがほとんどって昔は言われていたし、まあ今ーは知らないけどね。」母はすべて悟ったように言っていた。

 

役所の人が悪いわけではないし、仕事でやっているし、させてあげたいことも線引きをしなければならないことだってわかってる。じゃないとほかの頑張っている人たちに理不尽になってしまう。いくらスタートラインがバラバラでも、ハンデをつけるのには限界がある。仕方のないことで、ジレンマだって感じている人も役所の中にいるって信じてる。

 

ちょっと書き始めただけで、こんなに熱くなってしまうのだから、役所に入らなくてよかった。どうせ入れないけど。

 

こんなに書いたけれど役所の人には感謝している。一時期は憧れていたし。

今日も市民のために頑張ってください。