味方

 

 

味方

 

 

私は大学生の時、早く子供を産みたい

と思っていた

 

家庭環境に恵まれず育った私は

子どもを産めば子どもにとって母親は絶対的なものだから

私にも味方ができると思っていた

 

虐待された子どもは親をかばう

どんだけ粗末にされても、人間として扱われなくても

親の傍にいたい

誰かに助けてほしいけれど

離れ離れになんてなりたくはない

お父さんとお母さんが優しくなってくれることだけ祈っている

 

そんな心理(だった)

 

まあそんなことを感じていたので私は

子ども

という存在を

味方

という存在だと当時の彼に言った

 

安直だった

 

彼は

「じゃあそこら辺の男と適当に子ども作って生きていけば」

と言った

 

俺はそのための道具じゃない

みたいなニュアンスで

 

その当時は愛する人の子どもがほしい

とは思わなかった

 

シングルマザーに育てられた私には

愛する人との子ども

なんて発想はなかった

 

誰かと一緒に子育てをするビジョンが持てなかった

 

当時の彼、友だちには家庭環境のことは言っていなかった

みんな私の家が母子家庭だなんて思ってもいなかった

と今は口を揃える

 

付き合っている人には言ってもよかったかな

と今になっては思うけれど

当時は重すぎる

と隠すことで必死だった

 

そのとき付き合っていた彼には

実家のマイナスなことは一切口にしなかった

 

結果的に振られたのだが、最後の言葉は

「自分の環境を自慢したいんでしょ」

だった

 

そのとき自分が間違っていたことを痛感した

最後に言われたあの一言は死ぬまで忘れないだろう

 

悔しかったので

「何も知らない癖に」

とだけ言い返してやった

 

強がっていた自分の蒔いた種だな

と思って

縁がなかったからしょうがないと忘れることにした

 

その後何年かして私は病気になり

今の旦那に全部話してしまった

 

旦那は逃げることはなかった

でも私の背負ってきた十字架を彼にも背負わせてしまうと

罪悪感に苛まれた

 

愛する人との子どもがほしい

と思った時には

子どもができなくなってしまった

 

旦那という味方と引き換えに

私の間違っていた子どもという味方を神様は与えてはくれなくなった

 

 

続ーーーー

ある番組を見て

 

 

育ってきた環境は子どもに心理的のみならず脳にも大きな影響をもたらすということは専門家でなくても周知されてきている

 

たとえば、DVを経験または目撃する環境に置かれた子どもは認知機能、学習機能、暗記力低下といった脳の機能の低下が著しいというデータがある。

 

この前、母親がDVを受け、自らも母とともにDVをする父親から命からがら逃げ、大人になった人のドキュメンタリーを見た。その中の彼は自分と同じような、またはそれ以上の苦痛を味わっている家族を救いたいと弁護士を目指すのである。

「いつも裁判のための準備をする母を見て、法律に業することによっ同じような人を救いたいと思った」「法律というものが盾になるならばその法律を学んで、尚且つ当事者の立場に寄り添うことができる自分は必要とされると思う」

彼の熱意はすごかった。

 

ドキュメンタリーの中で、とある虐待死事件の話題をジャーナリストが出した。

すると彼は「その子はどれだけ苦しかったか」「自分は目撃しただけだったし、母が一緒に逃げ出してくれたからこうしていられるけど、その父親は絶対に許してはいけない」

それまでの淡々とした話し方とはうって変わって、感情的になり涙を浮かべながら語った。

 

自分の主観を言うと、最初はそんなに感情移入してしまって大丈夫なのだろうか。と思った。

自分は彼に過去の自分を重ねていた。

 

自分も幼いころは何度も裁判所を訪れたし、施設に入っていたことがある。

いつになってもうちの家族は行政に助けられているし、理不尽な思いや惨めな思いをしたことは多々あった。

大学に入るのも、お役所の人に反対されたり、面談があったり、入ってもいつ辞めるのか、早く働くべきではないのかと言われた。

役所の人に母は父のことをDV夫だったといって連絡先を教えないように申し出ていた。実際はDVはしていなかったけれど、私にも理解できない母の事情によって私の家庭内は絶望的に複雑だった。息も詰まるような毎日で、恐ろしい程私の自己肯定感は低かった。それに追い打ちをかけるように役所の人は他人事で、冷酷だった。(ように感じた)

 

そのころから私の夢は行政に携わって同じような思いをしている子どもに寄り添いたいというものになった。だって子どもにはなんの罪もないのだから。

 

私は非行に走ることはなかったが、その代わりに病気になった。

 

役所に私もどっぷり頼ることになってしまった。その役所の職員は手続きに行く私に手のひらを返したようにみな「頑張ってね」と言ってきた。

悔しかった。

悔しくて誰にも言えない。でも言いたい。

気付いたら母に「なんで世の中はこんな風に回っているのか。」ときいていた。

そうしたら母は「期待なんてしちゃいけないよ、金持ちで家柄がいい人が政治家になって、その人たちが世の中を動かしているんだから。役所だって、コネがほとんどって昔は言われていたし、まあ今ーは知らないけどね。」母はすべて悟ったように言っていた。

 

役所の人が悪いわけではないし、仕事でやっているし、させてあげたいことも線引きをしなければならないことだってわかってる。じゃないとほかの頑張っている人たちに理不尽になってしまう。いくらスタートラインがバラバラでも、ハンデをつけるのには限界がある。仕方のないことで、ジレンマだって感じている人も役所の中にいるって信じてる。

 

ちょっと書き始めただけで、こんなに熱くなってしまうのだから、役所に入らなくてよかった。どうせ入れないけど。

 

こんなに書いたけれど役所の人には感謝している。一時期は憧れていたし。

今日も市民のために頑張ってください。

 

私の母の人生について知る限りで書いていこうと思いまっす(前記事と重なるところ有)(超長文)

こんばんは yuca_chanpiです

 

私の母の人生について語る

 

のちに父の人生、そして私の人生についても別記事で語る

 

 

母の父→タケシ

母の母→ミヤコ

母の名は伏せておく

 

 

ミヤコは子どもができにくい体で、結婚してから何年か

子宝に恵まれなかった

 

病院で検査をすると、子宮に異常があるということが発覚し、

子どもは諦めるように言われたが、諦めることができず、

遠い遠い大きな病院に行って手術をした

 

不妊治療をするも授かることができず

諦めかけたときに自然妊娠で母を授かった

 

病院は隣接する県(母の実家は県境にある)に決める

不妊治療、手術の件は言うことなくお産の時を迎えた

 

医者が「・・・何かがおかしい」

と感じる

 

医者が困惑していることを感じた親族が

手術をしたと申し出る

 

珍しいお産だからと沢山の医者たちが

ミヤコのお産を見守った

 

母、誕生(1966/12/08)

 

とてもかわいい赤ちゃんだった

病院中の看護婦さんが抱きに来たんだよ

(田舎の病院で小さいからだとご承知あれ)

とミヤコは自慢げに語る

 

 

ぶっちゃけミヤコはブサイクだ

そんなミヤコは

かわいい母(当時赤ちゃん)をおぶっていると

誘拐でもしたんじゃないかと思われているのではないかとヒヤヒヤしていた

とも語る

 

因みに母の名付け親は病院の院長先生だそうだ

本当にかわいくて愛されていたのが分かる

 

母にはその後、弟と妹ができ、三人兄弟になった

 

弟が生まれたときの記憶はないそうだが

5個下の妹が生まれたとき、

自分の赤ちゃんの頃のような子がいると思って

病院にみに行ったら

「ブッサイク~www」とちょっとショックだった

と母は言う

 

さいころ母は

デブな弟を溺愛するミヤコと

末っ子の妹を溺愛するタケシをみて

 

*1

と確信していた

 

私が今、母の幼少期の写真を見ても

こりゃかわいいわ...となるベッピンさんだった

 

母の恥ずかしかったこと

ある日「幼稚園に行きたくないなあ」

といったら

ミヤコにマジのおしりペンペンやられて

(当時虐待という言葉があったら訴えてたと母は笑う)

田舎だから玄関のドアが開いていて

いわゆるガキ大将の男の子にそれを目撃され

幼稚園に行くと

「あいつズル休みしようとしてけつ叩かれてたゾ」

と言いふらされていて

不登校になりかけたとかなんとか

 

 

母の学生時代のエピソード

・チャリを乗っていいのは学校のグラウンドだけという謎の決まり

・雪が積もった坂を下るのが危険だから靴にワラを巻いて行けとタケシに言われ、靴にワラを巻いてふもとまで下っていたが、友だちにそんな田舎っぺをバカにされたくないといつもバス停の椅子の下にワラを隠してから登校していた

・坂道を毎日登って下校していたが、ある日タケシの友だちのおじさんの車がきて「乗ってく?」と言われたがなんとなく嫌な感じがしたから「大丈夫です」と言って家に帰ったらそのおじさんの車が崖から落ちたらしいと騒ぎになっていて、「私は何かを持っているに違いない」と勘違いする

・高校生の時隣の高校の男子が来て「付き合ってくれ」と言ってきたが、「付き合うって何?」と言って追い返した

・進路を決める時に「大学か短大に行きたい」とタケシに告げるも、「ふざけるんじゃねえ」「お前はちくわ屋に就職しろ」と言われた(タケシは大の練り物好き)

 

そんなこんなで小中高と田舎でなんとなーく育った母

 

田舎っぺが嫌で市街地のケーキ屋に就職する

これが運の尽きだった

 

ケーキ屋は寮だった

女だらけだった

ふたり一部屋で一緒になった女がまあ変な奴だった

 

ケーキ屋からデパートの販売員に転職する

ひとり暮らしを始める

デパートに勤務る女性陣と仲良くなる

しかしグループがあり間に挟まれる

母のアパートは溜まり場と化した

 

aグループが来るとbグループを断らなければいけない

被って押しかけてきたらなぜ断らんのかと

両グループから攻め立てられる

無限ループ

 

母狂う

 

転職して母の従兄の友人の会社で働き始める

注:当時母26~27歳

 

ミヤコとタケシに結婚はまだかと言われ

「結婚なんかしないよ」と告げると

激高したミヤコに

「従兄弟の○○君と結婚しなさい」

と言われ

「私は犬じゃねええ!」となり、

会社の人に紹介してもらった私の父とお見合いをして

とんとん拍子に27歳ギリギリで結婚に至る

 

私の父は母に初めて会った時

年齢を35と言っていた

 

婚姻届けには

昭和27年生と書いてあった

 

母→昭和41年生

「・・・計算が合わない」

「詐欺じゃねえー?!」

 

騙された...となりながら

受け入れた

 

結婚式はHAWAIIでやった

新婚旅行も兼ねていた

 

帰りの飛行機でひどい乗り物酔いになり

1週間以上吐き気が止まらず

これは乗り物酔いでも時差ボケでもなく

HAWAIIで食べたエビのせいだと確信した

 

予想は外れ

つわりであるとわかったときは仰天した

 

何か月か健診の時「双子ですよ」

「宝くじに当たるよりすごいこと」

と医者に告げられ

舞い上がった母は身長が5センチ伸びた

 

注:母は幼少期いじめられているとき

自分が双子だったらこんな寂しい思いはしないのに

自分の子どもは双子でありますように

とお願いをいつもしていた

 

身長が5センチ伸びた母は帰宅して

まず姑に伝えた

母:「双子だった」

姑:「なんだって・・・」

母:「え?」

姑:「身内に双子なんていないわよ」

母:「・・・・・」

 

姑その後3日間部屋から出てこず

1週間口をきいてくれなかった

 

切迫早産になりかけて「入院するか、家に帰っても絶対安静か」

と言われて「家で安静にする」と言い自宅に帰る

(娘が言うのもなんだがよくあんな環境の家に帰る選択をしたなと思う)

 

家で安静ねーと思いゴロゴロしている所に旦那帰宅

旦那:「今日は何してただ」←超亭主関白オヤジ

なんてやつだ

と思いながら生きていたら気付くと妊娠8か月になっていた

 

ミヤコと一緒に歩いていると

他人:「あの人のお腹すごい」

ミヤコ:「双子なのよ―――」

繰り返すこと100万回

 

妊娠9か月にさしかかる頃こたつに入っていると

漏らした

 

母:「お腹が重すぎて漏らしちゃったよ」

旦那と姑に報告

 

しかし実はそれは破水だった

 

病院につくも母限界

切迫早産なりかけ&双子で小さい

この2つのおかげで

赤子を吸引してもらい

吸引分娩にて双子をこの世に生みだす

(そのうちの一人が私ですん)(ありがとう)

 

赤ちゃん生まれましたよーと言われ

見ると小さすぎて恐怖だった

看護婦:「救急車で大きい病院に運ぶから手を握ってあげて」

母:「こわーーーい涙」←ひどい

 

そんなこんなで育児始まる

間違えてミルク2倍の濃さで二人に与える

寝ていると必ず片方見失う

もう何が何だかわからない

 

気付くと娘二人は2歳になっていた

やっと余裕が出てきた

と思ったら旦那ハンパねえ亭主関白

色々あり耐えられない

1年くらい耐える

やっぱり無理(色々ありすぎた)

3~4歳になった娘二人連れて

逃亡

 

 

離婚調停後

離婚成立

親権元旦那に取られる

 

耐える

 

元旦那が育児に降参

親権奪い取る

 

シングルマザーとして奮闘

 

子どもを育てるため

働いた

働いて働いて働いた

残業ばかりで夜遅くまで子どもを待たせることもあった

大変だった

必死だった

 

いつの間にか子どもは20歳を超えていた

頑張った

 

子ども二人とも大学を卒業した

就職した

 

50を過ぎたころ、長女が結婚するから

と言ってきた

 

来年結婚式だ

緊張する

 

相変わらず仕事忙しい

 

なんとなーく生きている

 

 

そんな人生

 

ひ孫抱く日まで

 

 

これが私の母の人生(知る限り)

 

ちなみに許可は得ていません

ここまで読んだ方は素晴らしいですね

あとちょっとで3000文字←ここで3000字

 

 

 

お母さん生んでくれて育ててくれてありがとう

娘より

 

 

~~続~~

*1:絶対に私はもらわれてきたか拾われた子だ

アウトレットにきてお茶だけ買って帰る大学生


お久しぶりです

yuca__chanpiです。


結婚いたしました。1ヶ月前に。

県外に引っ越しし、慣れないながらもなんとか過ごしている毎日。。

テレビのチャンネルが変わって

地方局の番組が多い

地元の話題いいから、久保ひとみ見せんかい


ちなみに方言には3日で慣れた

しっかりこっちの方言(かなり強め)を喋り倒すわたし

二階建てのいわゆるメゾネットタイプの家に住んでいるのだけど

アパートにしか住んだことがなかったから

一階と二階のどちらにいればいいか分からなくて

最初の1週間はずっと一階をウロウロして家事していた

テレビ見たくない

Wi-Fiない

結果、10月が始まって6日で通信制限。

死亡。。



同棲というものを初めてしているのだけど

旦那は何もできず

IKEAの家具を買ったら

組み立て?!と驚き

どうするの?どうやるの?と

わたしに質問攻め

わたしが、分からないよ

というと

なんで?!なんで買った?!

と。

いや説明書みんと分からんから、、

というと

説明書どこだよ?!?!とパニック

いや、、中にあるよ、、、


説明書見てると

わかった?どうやるん??


それをこっちにしてこっちに・・

というと

それってどれだよ?!わかんねぇよ!


いやそれの名前なんてわからんから!
白いくぼんでるプラスチック!!

と怒鳴ると

はぁ、やっぱ一緒に住みだすと変わるんだね

と。

それから旦那は組み立て式家具が届くと


おれ組み立て恐怖症でNG

と言いだす始末


結局家具は全部わたしが手配して
家電もうちの親がだして
搬入の手配もして


旦那の友達が家に来ると

俺何もできんやつやんね〜

と自慢げにピースしている旦那


唯一やったハードディスクの配線は

普通裏に隠すのに前にめちゃめちゃ
出てる

これが俺やん。  だって


まあ仕事辞めて専業主婦の私だけど

社会との関わりがなくなって

平日昼間暇すぎる状態に耐えきれず

ネイル、まつエク、エクステ、など

美容に金かけるお化けとなった


収入ないのに出てく一方


旦那の友達が、家に遊びに来ていい?
と言ってくると

めちゃくちゃ嬉しい


パーティーずっとしていたい

金なぁ……


この前の日曜日IKEAとついでにアウトレット行ったんだけど


アウトレットから帰る時

前歩いてる大学生男3人組が

3人共綾鷹だけ持って車に向かっていた


あー近所なんだなと思って

乗り込む車のナンバー見たら


姫路


だった。


遠。すげぇ

なんもなかったんだなー



それだけ


またねー!ばいばーい!!



〜完〜

うんこしたくなっても少し我慢して貯めて一気に出すという変わった排便の仕方

こんにちはyuca_chanpiです

 

うんこ出そう

うんこしたい

トイレ行きたい

トイレいこ

 

大体みんなそんな感じで

便意をもよおしたらすぐ

お手洗い行って

用を足すと思います

 

私は違います

うんこしたくなっても下痢でやばいとき以外は少し我慢して貯めて一気に出します

変わった排便の仕方だと思います

 

人間の体には個人差があるので一概には言えませんが、結構いい排便の仕方だと私は思っています

 

この方法にたどりついた理由は2つあります

1つ目、母の言葉

「便秘ってあるでしょ?毎日出てれば快便ってわけじゃないんだよ」

「たとえ毎日出ていなくても残便感がないうんこできたら次の日うんこ出なくても便秘って呼ばないんだって」

「逆に、毎日出てても残便感あったらそれは便秘だよ」

「まあお母さんは浣腸して無理やり出しているけどね。(笑)」

 

え?そうなん?

私は信じました

残便感って・・・やだな

残便感ないうんこしたいな

便秘なりたくないな

 

2つ目、哲学の教授の言葉

大学の授業中、哲学なんてつまらないし意味わかんないしってことで、途中退室して出席取るときだけ戻ってくる学生が何人もいました

その人たちにが退室した時教授は言いました

「あーお手洗い行く人多いですねーヨーロッパにはトイレットトレーニングってのがありまして、3歳の子どもでも用事があるときには先にトイレ行って、ことがあるときにもよおさないようにしていることをご存知ですか?」と残っている学生に言いました

続けて

「日本などのアジア文化圏とは違ってヨーロッパはもよおしたらトイレに行くのではないんです。常日頃からもよおす前に!トイレに行っておくのが普通なんです。なぜかって人と会っているときにお手洗いに行ったら失礼でしょ?」

「よって今出ていった方々はヨーロッパの3歳児以下ですね」といいました

 

いいすぎじゃん?って思いました

でもおしっこにかかわらずうんこもしたくなったら行けばいいが当たり前だった私には衝撃でした

ヨーロッパすげえ

となりました

うんこもよおさない方法ないかなあ

便秘じゃなかったら急にもよおさないかなあ

考えました

 

この2つが重なって

便秘にならないためにはどうしたらいいか

残便感の残るうんこを出さなければいい

という方程式が出来上がりました

 

そのためにはどうすることが必要か

どういった時に残便感のないうんこができているか

あほみたいなことを真剣に考えました

 

で、ひらめいたのが

うんこしたくなっても少し我慢して貯めて一気に出す

という方法です

 

これ、めちゃくちゃいいです

もよおしてすぐにトイレに行ってはだめです

 

メリット:我慢していた分すごいスピードでうんこできるから好きな人とデートしている時トイレに立っても早く戻れて「あ、うんこしてんなーあいつ」と思われてない

メリット:すごい快感を味わえる(一気にめっちゃでるから)

メリット:便秘にならない(残便感ないから)

 

デメリット:ふつうにうんこしたくて我慢してるときは少しだけしんどい

デメリット:たまにすんげえ下痢になるからちょっとリスクあり

デメリット:我慢しているときに万が一おならが出ちゃったときにはものすごい異臭がするから注意が必要

 

 

これからこの方法推奨しようかな

思ってたより結構デメリットあったな

でもこんなこと誰にも言えないな(ブログに書いてんじゃん)

 

 

よかったら試してみてね☆

 

~完~

一旦死んだって話

 

自分が壊れている感覚がした

どんどん、どんどん壊れていく

死んじゃうのかな

死んだほうがましかな

死にたくはないな

死にたくない

 

誰か助けてほしい

 

毎日夢を見ているようだった

 

ベットの上にいた

点滴が繋がっている

 

誰かがきた

「こめんね。いじわるでこんなこと

してるわけじゃないからね」

両腕に付いているものを

また強くした

眠かった

 

目が覚めた

起き上がれない

両腕に付いているものが

ベッドの柵につながっている

 

真っ暗だった

気付いたらまた眠っていた

 

何度目が覚めても

真っ暗だった

 

確かここに来る前に

家族に病院に行きたいと言った気がする

 

てか暴れてここに入れられたんだっけ

 

あれ、思い出してきた

叫んだわ

雄たけびあげたわ

 

 

トイレ行きたいけどどうするの

てかなんでベッドと繋がってんの

 

ここ病院だよね

うん病院

思い出してきた

でもなんでベッドよ

布団の上に寝かされた気がするんだけど

 

眠い

目が覚めた

相変わらず真っ暗

相変わらずベッドとお友達

てかさっき誰か来て

「寝ていいんだよ」

って言ってきたたぶん

夢?

てか死んだの

なんで暗いの

 

寝てた

なんか違う

あ明るいわ

死んでないわ

 

人が部屋に入ってきたから

「話をして」と言った

「なあに」って聞いてきた

点滴を触っている

もう一人来た

二人とも女の人だ

あーこの人たち看護師だ

しゃべり倒した

無視されてるけど関係ない

「私のミスだ~」って一人が言った

点滴をぐりぐりしてきた

痛え痛え

「何の点滴?」

無視された

 

また寝てた

起きた

また明るい

死んでないみたい

 

今度は男の人来た

あこれ先生じゃん

「この腕のやつ何とかして~」って言ってみた

「今日は空がきれいですね」だって

会話のキャッチボールできてないし

たしかにめっちゃ晴れてるけど

 

どかどか部屋に人がいっぱい入ってきた

点滴が外れた

両手も自由になった

みんな部屋の中掃除し始めた

何事かな

と思ったら

「先生がもう大丈夫だって」って言ってきた

 

ベッドどっかいった

布団かよ

てか部屋ひとり部屋じゃん

狭いし

でもトイレあんじゃん

なんかなんてゆーか

牢屋じゃん

ドアにドアノブないじゃん

なにこれ出れないじゃん

でも外見れる

病院だ

物置の前かよ

看護師さんとか通るけど

私の存在無視じゃん

え死んだ??

なんか死ぬ前の部屋みたい

また看護師さん向こうからくる

部屋の中から

「すみませーん」って言ってみた

だって仕組みわかんないもん

手を振られた

え?手を振り返した

笑っていた

何怖い

 

てか時計まであるじゃん

日付みた

はい?この前病院来たときって

確か1月の始めだったけど

今2月6日って出てる

何してたの私

死んだの?

生き返ったの?

 

静かすぎ

布団とトイレだけ

まじ牢屋

 

考えた結果、死んだんだ。って結論出た

 

でも床ずれっぽいの出来てておしり痛い

生きてるとして

1か月寝たまんまだったってことか

ドラマみたい

だけどここ牢屋

意味わかんない

 

コンコンって音聞こえた

ドア開いた

看護師さんがご飯持ってきた

「久しぶりだから、胃がびっくりしちゃうかな」

ってご飯食べさせてくれた

えーおかゆじゃん

食べさせてもらった

「うんまあああああああああ!」

「うえええええええええっつ」

一口しか食べれなかった

疲れた

即寝した

 

起きた

暗い

またか

寝た

起きた

 

 

何度も繰り返した

また明るくなってた

ある日これって朝じゃんってなった

掃除のおばちゃんが

「初めまして~おじゃましまーす」って来た

デブだwwうけるww

親しみやす~

「あの、私って死んでます?」って聞いた

「んもう!!死んでたら私とお話しできるわけないじゃない!!あなたは生きてるわよ!い・き・て・る!!!」

「ここ病院!死なせない!!あなたのことずっとみてたのよ!」

「ほらね!」って私の手を掴んでぶんぶん振った

二人でめちゃくちゃ笑った

おばちゃんは去っていった

 

その日はいろいろあった

まず朝ごはんが来た

普通のご飯だ

ちょっと残した

そしたら看護師さんにめっちゃ怒られた

「アフリカの難民が~」って言われた

「昨日はあんなにもりもり食べたのに!」って言って去っていった

覚えてないし

 

コンコンってまた聞こえた

「お風呂だから」って言われた風呂場に行くとあの掃除のおばちゃんがいた

「あ!おばちゃん!」声かけた

「あらーーーー」ってしかめっ面された

この前のことは内緒らしい

「腹が出てるから彼氏にお前妊娠したのかって言われた」って言うと

「なにね花粉が飛んできただかね」っておばちゃんが

「はあ?」って言うと

「だから花粉が飛んでこなかったら受粉できないでしょうが!そんなことも知らんで」ってしかめっ面された

「いや私植物じゃなくて人間だけど、人間は行為をしないと妊娠しないけど・・・」って言いながら大爆笑した

ちなみに1か月ぶりに鏡で見た自分は痩せこけていた

 

部屋に戻るとやっぱり牢屋だった

でも掃除のおばちゃんとのやり取りを思い出して

ずっとひとりで笑っていた

もう慣れた

暇すぎた

あるのは布団だけあとトイレも

お茶もあったわ

お茶がこぼれたけど拭くものがなかった

とっさにトイレットペーパーを取って拭いた

なんだよこれゴミ箱ないじゃん

どこ置けばいの

そのぶつを壁に向かって「えいっ」って投げた

壁にペタってくっついた

笑った

暇つぶしひらめいた

お茶こぼしてトイレットペーパーに含ませた

いっぱい作って

何個も何個も壁に向かって「えいっ」て投げた

全部くっついた

めちゃくちゃ笑った

楽しかった

 

そしたらコンコンって聞こえた

「やばい」と思った

「なにこれーーーー!!!」って看護師さんびっくりしてた

「これは何?!」って聞かれた

お茶もらえんくなるって思った私はとっさに

「お、お、おしっこ・・・?!」自分でもびっくりした

水道に連行された

手を洗わされた

なんで信じるんだよ・・プライドが傷ついた

「あの・・お茶です。先生には言わないで」言わずにはいられなかった

次の日先生が来た

「常識を考えてください」ってすんごく怒られた

きちんと申し送りされていた

いやここに入れてることが犯罪だわと思った

お茶は没収されなかった

ひとりになって

「人間の基本的人権・・・」と言ったら

笑えた

 

そんなこんなで元気になった私はいきなり退院した

これが一旦死んだって話

 

 

ちなみにこれは作り話です

 

~完~

 

子どもができて生まれたら一番にその子を思って十月十日かけて編んだ帽子を被らせてあげたい話

こんにちはyuca_chanpiです。

 

私には夢があります

それは「子どもができて生まれたら一番にその子を思って十月十日かけて編んだ帽子を被らせてあげたい」です

 

この夢は誰にも言ったことがありません

だせえでしょうか

 

子どもができたらまず毛糸を買いに行きます

とても重要なポイントです

たぶん男の子でも女の子でもいいように

黄色にすると思います

百均で買うつもりです

いいのいっぱいあるからね

 

そして編み始めます

お腹の子に話しかけながら

いろいろ話します

お父さんの話とか自分の話とか

 

お腹をなでる間を惜しんで

編み続けます

名前より早いファーストプレゼントになるからです

 

頭が大きくてもいいように

ちょっと大きめに作ります

ぶかぶかの方がかわいいし

ずっと使えるからね

 

自分が双子だから、双子だったら大変です

お母さん頑張っちゃうからね

きもいでしょうか

 

この夢は簡単に叶いそうに見えて

私にはとっても遠い夢なのです

 

だから余計強く思ってしまいます

「子どもができて生まれたら一番にその子を思って十月十日かけて編んだ帽子を被らせてあげたい」と

 

子どもを望む男性との交際は控えた方がいいでしょう

子ども前提で結婚をするのはやめてください

 

やっぱりね

そう思いました

なんで私ばかりこんなに不幸かな

お父さんのいる家庭を羨んで生きてきて

今度は子どものいる家庭を羨んで生きていくんだな

 

メンへラ発揮です

 

ちなみに手芸で編めるのはコースター位です

頑張って帽子作れるようになります

いつかみる自分の子どもに被らせてあげるのを夢見て

 

 

 

 

 

この話ちょっと良くない?

~完~